[:ja]迫田美穂さん「蝶々夫人」1904年の作品に日本とアメリカ2019年の姿が重なって見える[:]

2019年04月29日(月)1:24 PM
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「蝶々夫人」1904年の作品に日本とアメリカ2019年の姿が重なって見える

 

「誰も寝てはならぬ」

「星は光ぬ」

「私のお父さん」

「ある晴れた日に」

皆様、一度はどこかで聞いたことがあるのでは?

ジャコモ・プッチーニ(18581222日生まれ・射手座)のオペラの名曲です。

プッチーニは射手座生まれ。

射手座は「外国」を示す星・木星が守護星。

そんな影響もあるのか、プッチーニのオペラは国際的題材が多数取り入れられています。

「蝶々夫人」は日本

「トゥーランドット」は中国

「西部の娘」はアメリカ

この三作はプッチーニの異国の歌劇三作と言われています。

 プッチーニ

プッチーニは生まれた時の月が蟹座に位置しているので、世の中の動向にも実に敏感であり、イマジネーション豊で夢想的だったのでしょう。

月の女神が下りてきたことで生まれたドラマチックなメロディーは

多くの人の心に水のように染み入り感動を与えます。

また生まれた時の木星が双子座というのも多彩な才能を示しているので、

双子座の書くという作用が強く出ています。

台本作りにも熱心だったそうです。

 

蝶々夫人はミラノ・スカラ座で1904年の2月初演でしたが、

なんと大不評。

第二部が長すぎて、ブーイングの嵐だったそうです。

その当時19042月、日本は日露戦争に突入しています。

現在上演されている蝶々夫人は何度か手直しをされている作品です。

 

 日本最高峰の若手ソプラノ 迫田美穂さんと宇垣夫人

 

さて、その「蝶々夫人」のオペラ公演に、行ってまいりました。

オペラ歌手を目指したものの、一時は、OLになった迫田美穂さん、

実に素晴らしい完璧な歌声を披露してくださいました。

昨年高輪会の宇垣淑子さん(蠍座)に見いだされ、第84回高輪会リゴレットに昨年出演した途端、

運が向いてきたそうで、なんと今回の藤原歌劇団・蝶々夫人に大抜擢されました。

オペラ界の大御所である伊原直子氏に、「高輪会はオペラ界の登竜門」と命名されてから、

高輪会は本当に通りになっているのが不思議です。

 

今回初めて字幕スーパー付きの蝶々夫人を鑑賞しましたが、

字幕スーパーを読んでいるうちに、なんだかムカムカとしてきましたよ。

蝶々夫人は没落した藩士の令嬢でまだ15歳の芸者

そこに軍艦に乗りやってきたアメリカ海兵隊員であるピンカートンが遊び心で結婚を申し込み、

2人は結婚する。

ピンカートンの歌詞の中に「蝶々夫人のことを、僕の玩具」というセリフもあり、

えーーーーっ、そうなの?

ひどいわ!

 

また、ピンカートンは適当に遊んだ後、本国に帰国、そして3年もほったらかしにした間に蝶々夫人は

カワイイ青い目のベビーを産み、育てている。

長い間、蝶々夫人はピンカートンの誠意を信じて、毎日海を眺めて帰りを待ちわびている。

3年たち、ようやく長崎にビンカートンがアメリカ人の本妻を連れて寄港する。

そして、本妻に蝶々夫人の産んだ子供を渡してくれと言う。

なんてこと!つまりお前はもういらないということね。

蝶々夫人は最後には自害し、幕は下りる。

 

プッチーニの音楽があまりにも美しいので、ついつい酔いしれてしまう作品ではありますが、内容をよく考えてみると、実に不愉快、なんとなく、今の日本とアメリカの姿にピッタリ重なるのです。

今の日本はアメリカのために国民の大事なお金もあげて、沖縄さえ与えて、尽くしているというのに、アメリカからは大事にされていない。

やがて日本国からとれるお金がなくなれば、アメリカに捨てられてしまう国であることは確かです。

ピンカートンに弄ばれ、子供まで産んで、最後には愛する子供も奪われ、そして自害してこの世を去る蝶々夫人。

あまりにも悲しいオペラに、日本とアメリカの姿を見てしまったような気がしました。

だから、ムカムカしてしまいました。

 

 

 

トゥーランドットは氷の心を持つ中国のお姫様、しかし、最後は氷の心も溶けて、王子とめでたし、めでたし。

中国の強い女は最後に幸せになる。

西部の娘はゴールドラッシュに沸くアメリカで強く生きる女ミニー、最後はミニーの勇気が愛する人を救い、二人はめでたく馬に乗って去っていく。

アメリカの強い女も幸せになる。

しかし、日本の女だけは死んで不幸になる。

なんともイタリア人音楽家が100年も前に書いたオペラが、100年後の日米関係を予言していた?とも言えるかもしれません。

 

蝶々夫人の原作はジョン・ルーサー・ロング(1861年1月1日生まれ・山羊座)というアメリカの弁護士で、

もともとの題名は「お菊夫人」です。

1898年のアメリカ雑誌に発表、それを見たプッチーニがその原作を元に書いたのが蝶々夫人だということです。

原作者ロング氏の姉が日本で布教活動のため住んでいた宣教師の妻だったこともあり、

原作者は一度も日本を訪れたことはないのに、実によく日本のことを理解していたと言われています。

 

蝶々夫人の舞台を見ながら日米関係がふと頭をよぎる

そうすると、なおさら泣けてくるのでした。

 

涙なくしてこの作品を見ることはできません。

 

 

 

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