日本が戦争に負けたのにはハッキリとした理由があった

2018年08月06日(月)12:27 AM

日本が戦争で負けたのにはハッキリとした理由があった。

 

経済ジャーナリストでトヨタに詳しい井上久男氏のお勧めの本、

「ものつくり敗戦」木村英紀著 (日経プレミア・シリーズ)読んでみたら、

なんとなんと、第二次世界大戦時の私の知らない恐ろしい事実がそこに書いてありました。

木村英紀氏は1941113日生まれの蠍座です。

蠍座だけあり、その分析は鋭く、普通の女性にもわかるように、

しっかりと説明してくださっているので実に面白い本です。

(あ、この本は戦争のことが中心の本ではなくて、ものつくりのことが書いてある本です)

 

木村英紀氏は東京大学の名誉教授であり、工学博士です。

2009年に出版されたこの本には、私が初めて知った戦争の事実が書いてあり、

本当にびっくり。

「戦争に負けた理由、一番の原因はどこにあるの?」

それを知りたいと思っていらっしゃれば、是非手にとってみてください。

「ものつくり」という観点から戦争を分析、

何故私たちのご先祖様約300万人が第二次世界大戦で死ななければならなかったのか、

その理由がとてもよくわかります。

 

86日、広島にはウラン型原爆1.5万トンが投下され、当時14万人が亡くなり、現在まで推定34万人がなくなっています。

長崎にはプルトニウム原爆2.2万トンが投下され、当時74千人が亡くなり、現在まで推定24万人が亡くなりました。

第二次世界大戦での日本人の犠牲者数は約300万人。

現在の東京都の住人の4人に一人が亡くなったという感じです。

 

日本の戦争テレビドラマ、映画では憲兵が睨みつける中、防空頭巾被った女性が竹やりを持ち、かかしみたいな人形に向かって大声あげて突進していく姿がよく映し出されています。

たった73年前の日本はそんなことやっていたんです。

でも、戦いの場ではもっとあり得ないようなことが起こっていたのです。

こんな情けない兵器しかなくて、なんで戦えるのか?

よく開戦が決意できたものだと思えてきます。

 

日本の陸軍が太平洋戦争(1941年開戦)を通じて使っていた三八歩兵銃は職人が一挺ずつ部品を調整して作っていたって知っていましたか?

いちいち職人さんが手で調節していたなんて・・・。

戦前、日本の機械工業は大量生産の前提である規格化が大きく遅れていて、アメリカ、イギリスではすでに19世紀から部品完全互換製造ということが行われていたというのに・・・。

日本は製造するのにいちいち手間暇かけて作っていたということ。

本には織田信長の時代と同じようなことが戦時中に行なわれていた。

と書いてあります。

ひゃー、織田信長の時代・・・。

 

大砲に至っても、アメリカ軍は大砲の移動運搬手段がきちんと計算されていたので、

兵士に負担がかからない自走砲だったけれど、

日本軍は兵士が重い砲弾を背負って移動、しかも大砲につけている車輪は木製。

さらに運搬した先で大砲を組み立ててから使用していたというのですから兵士の疲労はただごとではない。

きゃーーーーっ。

 

ショックだったのはそれだけではありません。

小銃だけではなく、機関銃も部品の互換性がなかった。

日本の海軍だけでも30種類以上の機関銃が作られ、

弾薬に至っては120種類も作られていたというのです。

ちなみにアメリカは陸海空で一つの形式の銃器しか作っていなかったということ。

こんなことで、アメリカと戦えるはずがない。

 

さらに、レーダーについても日本はさらに大幅に遅れをとっていた。

1930年頃から日本にもレーダー技術はあったけれど、その開発は遅々として進歩なく、

挙句、海軍は戦時中の一時期、せっかく配備した艦上レーダーを、戦闘に邪魔であるという理由で撤去させただけでなく、その開発を中断させていたということ。

 

名機ゼロ戦にしても名人芸の設計、組み立てなので、一機作るのに相当な時間もかかり、

完成後も調整に時間がかかり、戦地に配備された時にはエンジンの耐用期間が終わっていたという、笑えないエピソードも残っているそうです。

結局ゼロ戦は一年で消えた。

はぁーーーーっ。

 

なんてことなの!

 

では開戦前の日本は愚かなほどに、世界からの情報が入っていなかったの?というと、

それは違いました。

しっかりと戦争前にはアメリカなどの兵器の情報も入っていました。

1940年には陸軍が発足させた「戦争経済研究班」というものがあり

東京帝国大学などの若手経済学者たちが日米の資源埋蔵量、工業生産力などの具体的な調査を行い、日米格差が相当なものであると報告書を出しています。

1941年に始めには内閣に作られた「総合戦研究所」では軍官民の若手エリートが集結、

対アメリカ、イギリス戦必負という報告書を出しています。

そして全員辞めています。

19413月に参謀本部がわざわざアメリカに国力調査のために商社マンとして大佐を3か月も派遣してアメリカ各地を回りデータを収集させた。その結果「開戦すべきではない」という結論を出しています。

海軍の山本五十六(188444日生まれ・牡羊座)もアメリカ滞在中にフォードを始め、デトロイトの自動車向上を見学したことがあるそうです。

議員さんたちの外視察みたいなものかしらね。

しかし、彼は軍人だったので、その技術がどけほど素晴らしい未来につながっていくか想像もできなかったようですね。

 

大量生産をしていない日本はアメリカやイギリスに当時、少なくとも30年は遅れていたそうです。

日本は戦争前、兵器の攻撃力ばかり重点を置いていたそうで、

どれだけの威力があるのか!

それしか考えていなかったということです。

その兵器を使う人の体力、兵器の補給の方法、修理の方法など、それらのことが検討された形跡は全くないということなのです。

検討された形跡がないとは・・・・。

恐ろしいほどの想像力の欠如。

目の前のことしか見えない体質。

お・・お・・・恐ろしや。

単純すぎる。

 

現在の株価さえ上がれば、他はどうでもいい!

年金資金、中央銀行の資金をつぎ込んで、どんどん株価上げて、それが他にどのような影響を与えるのか、それが今後どうなっていくのかなんて関係ないというような政府の方針に

戦時中とそっくりじゃないの?と、

だぶって見えてしまうのは私だけでしょうか?

 

また、貴重な情報も得ているのに、日本はその情報を戦略に生かすシステムを欠いていた。

 

正しい情報もあり、正しい結論も出されていたにも関わらず、戦争に突入し、

罪なき国民の命は失われていった。

最後のところで賢明な判断がされなかった。

それは何故か?

 

戦後70年たった今も、日本はまだその傾向は続いていると木村氏は言っています。

日本軍が敵国の情報収集をしっかりやったにも関わらず、それを理解し、解釈し、政策決定に結びつける能力、組織を欠いていたように、

2009年当時、2500億円かけて始めた巨大プロジェクト、宇宙に飛ばす情報収集衛星IGSのことを見ても戦時中のようなこと、似たようなことが繰り返されているとのことです。

IGSが宇宙から運んでくるデータ画像を分析し、そこから意味ある情報を読みとることができていない。

飛ばすことに意味があるのではなくて、飛ばした結果、そこから得た情報をどう考えるのか、またそれを他の何に生かしていくのか、そのようなことを考える存在、人物の養成を政府は怠っているので、IGSは低い性能しか発揮していないと言われています。

日本はシステム思考が根付かないと木村氏は嘆いています。

 

現在の文部科学省の大臣たち、2001年にスタートしてから、

現在の林芳正大臣(1961119日生まれ・山羊座)に至るまで、

理系の大臣はたった4名。

(この4名は民主党政権下)

自民党政権下では法学部、経済学部など文系ばかりです。

その前の科学技術庁は2001年に文部省と合併するまで46年間、58名の長官が就任していますが、理系大学出身はたったの3名。

ドイツのアンゲラ・メルケル氏(1954717日生まれ・蟹座)は物理学者でもあります。

中国のトップも理系は多いようです。

しかし、日本は法科など文系ばかりが内閣の頂点に立っている。

地球温暖化、宇宙計画、IT戦略などちゃんと理解できるの?と思ってしまいますね。

 

学長は文系でなければならない、絶対に医学部出身者にしてはならない!

などという掟が慶應義塾大学にはあるようですが・・・

もしかしたら各省庁にもあるのでしょうか?

 

戦争の悲しい体験を語る人は年々少なくなっています。

だからその体験を忘れないでということでの催しはいろいろと考えられています。

 

しかし、その前に、目の前に正確な情報があったにも関わらず、それを生かせるシステムがなかった、理系の論理的な思考、これが私たちには欠けていた。

論理的な思考のできない人、想像力ない単細胞な人を日本のトップに据えてしまった。

 

複数の「知」から「新しい知」を創造する「知の統合」ができる人が日本の舵取りをしていなかった。

だから戦争で多くの人たちが犠牲になったということ。

そして今も「知の統合」のできる人たちが日本の舵取りをしていないという不幸。

それもしっかりと子供たちに伝えていかなければならないのではないでしょうか?

 

戦後73年たっているのに、未だ日本には理論より忖度が通る世界のようですから・・・・。

 

 

 

 

 

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