[:ja]子供たちには「夢」ではなく、「志」を持ってもらいたい[:]
子供たちには「夢」ではなく、「志」を持ってもらいたい
2019年もあと一日で終わろうとしています。
今年も沢山の感動する言葉を聞きました。
その中で、最も心に響いたのは、ビジネス交流会主宰者であり、KKガイアソリューションの社長でもある
田中太郎氏(1948年10月22日生まれ・天秤座)の71歳の誕生会のご挨拶の言葉でした。
「・・・・・・私は子供たちに夢ではなくて志を持ってもらいたいと思う・・・・」
あー、それそれ!私もそう思う。
夢とははかないもの、あたかも現実のように感じる観念・・・
「いいじゃないの夢くらいみても」などと
こうしたい、ああしたいなど、亡くなった母はよく私に話してくれました。
幼い頃に戦争も体験した母、専業主婦だった母にはたくさんやりたいことがあったのでしょう。
しかし、それができなかった。
だから夢を語ってくれた。
志とは強い意志を持ち、目標に向かっていくことだから。
そこには、はかなさはありません。
そこにあるのは、強いエネルギー、強い心。
テレビをつけたら、日本の現状について各分野の著名人、官僚、報道関係者が集まって討論会が行われていました。
貧富の格差の是正、人口激減のための対策、そのためには子供の医療費、教育費の無償化、若い人たちの家庭に補助金を出すなどしたらどうか?など多くの人たちが話しています。
そうしてあげたいのはよくわかるけれど、なんとなく気持ち悪いのは何故?
愛知教育大学の川北稔先生(1974)の
「日本は若者が個人として生活するための仕組みが欠落している」
という文字が目に入りました。
あー、それそれ。
可哀そうだから、お金をあげる、特別無料にしてあげる。そんなことではなく、
本当に必要なのは、キチンと労働して、キチンと給料をもらい、キチンと経済が回る社会になることなんじゃないの?
それなのに、可哀そうな若い人たちにはとりあえずお金をあげて支援すればいいだなんて、
なんていい加減なこと!と怒りがこみあげてきます。
無料で大学に行かせればいい・・・。
これではヤル気が失われてしまう。
不公平感をなくすことは大切なことだけれど、
不幸な人たちにはお金配ればいいでは・・・。
労働の義務感も失われ、多くの若者を将来生活保護者にさせる気なんでしょうか?
頑張ったら認められる社会でなければ誰も高い志など持つことはないはずです。
昭和に生まれた私たちには頑張ったら認められる社会があった。ですよね。
さくらを見る会のいい加減さ、公文書管理法も2009年には日本で成立し、
公文書は日本国民の財産になったはずなのに、
公文書を平気で捨ててしまう偉い人たち。
そんないい加減なところをおざなりにして、困っている人たちには適当にお金をあげればいいんだでは、自立した国民は育たない。
不公平感を是正するのであれば、まず一番に総理であるから、何でも許させる、
官僚であるから、何しても良い。
嘘もついても良い、都合の悪いことはなかったことにしても良い。
それらの人たちを国民と同じに公平にしてもらわなければ、
日本人はいつまでたっても公平な社会に生きていると思えない。
成金の親は自分が苦労したから、子供には苦労させたくないと、
ブランド品をもたせ、一流大学に行かせ、一流の家に住まわせる。
だから、子供はちっとも成長しない。
それどころか、会社も継げないような情けない存在になる。
それと同じことが、今の日本全体で起こっているような気がします。
親(政府・国)はとりあえず子供に金を与え、どんどんダメにしていく。
自立させない。
本当の幸せとは程遠い社会を作ろうとしている偉い人たちの考えに
2019年最後の日も怒っています。
子供たちには志を持たせたい。
それを叶えるためにはこの怒りも大事なことではと思うので、
来年も、またその次の年も、日本が変わらない限り、
妥協せず、怒りを持ち続けながら、仕事に励んでいきたいと思います。
子供たちには夢ではなく、志を持たせたい!
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